第2フィルター 広告という営業認可装置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/21 10:01 UTC 版)
「プロパガンダ・モデル」の記事における「第2フィルター 広告という営業認可装置」の解説
2つ目の条件として、メディアがその運営のうえで広告に頼らざるを得なくなったことを挙げている。第1フィルター、すなわちメディアの巨大化は市場原理によって引き起こされたが、メディアの広告依存もまた市場原理の結果であった。 メディアが販売収入よりも広告収入を基盤として経営をするようになると、その購入者ではなく広告主の選択がメディアの浮沈に影響するようになる。その結果、メディアは広告主におもねった報道をするようになるのである。そのさい報道内容が高級市場=富裕層のニーズを満たすものだとしても、「大衆」市場の購読者の大きな部分を容易に獲得することができる、とチョムスキーは言う。 さらに、巨大な広告収入はメディア業界の寡占化を進行させ、労働者階級向けであったり急進的なメディアには広告が集まらないことから、そういったメディアは淘汰されていく。さらに市場原理の必然的な結果として、マスメディアがターゲットにするのは「購買力のある視聴者であって、視聴者そのものではない」、すなわち最初から富裕層に向けた報道にを目指すという状況に陥る。 広告主は一般的に、視聴者の購買意欲を妨げるような「深刻で複雑な議論や、不安をかきたてるような論争のある番組」ではなく、セールス・メッセージの普及にふさわしい気分をかもし出す番組、気楽に楽しめる番組を求める。また例外的に、企業が「何か不祥事をしでかしたため、それを棒引きにするような広報活動が必要となったような場合」は、企業が積極的に真面目な番組のスポンサーになろうとすることもあるが、その場合でも「企業は通常、デリケートな問題や対立をあおるような問題を、詳細に検討するような番組のスポンサーにはつきたがらない」。 そのゆえ、「商業放送局のテレビドラマは『広告収入で作成されているので、ほとんど例外なく現在の、この場を扱っている」のに対し、公共放送では、文化といえば『"よその文化"を意味するようになっている…現在この場におけるアメリカの文化、というカテゴリーは、考慮の対象から外されている」といった状況へとつながる。このことは日本においても言えるのではないだろうか。 また、ある番組と次の番組のあいだにも、メディアは視聴者をつなぎとめる工夫をこらす。その結果、他局への切り替えを促しうるドキュメンタリーや文化的な番組の代わりに、「無料の」(すなわち広告で維持された)商業システムが入ることになり、文化的・批判的な内容の番組はメディアが締め出される。チョムスキーは、これは広告を収入源としているメディアであれば二流のメディアであっても同じだと言うが、「それでもなお、主流メディアの周辺では、文化的・政治的な番組がつねに生み出され、生き残っている」ことにも触れている。
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