第1次日本ハム時代とは? わかりやすく解説

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第1次日本ハム時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:06 UTC 版)

紺田敏正」の記事における「第1次日本ハム時代」の解説

プロ1年目2003年には二軍打率3割、14盗塁記録し一軍でもプロ初打席安打となる三塁打大阪近鉄バファローズ岩隈久志から記録したそれ以降2年間はケガなどで伸び悩み一軍出場はなかったが、2006年開幕一軍入り。すぐに二軍落ちしたが、同じ外野手稲葉篤紀坪井智哉8月5日6日相次いで故障したことから再昇格チャンスを得る。主に代走としての起用だったが、この年先発出場8月13日千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)で先発渡辺俊介からプロ打点挙げた以後渡辺との対戦時に打率誇り小田智之と共に俊介キラー」と呼ばれるようになったこの年21試合出場、うち4試合スタメンのうち3試合が対渡辺戦。渡辺との通算対戦成績23打数10安打打率.435と相性良く、また一軍での通算本塁打2本のうち1本は渡辺から打ったのである)。同年秋のアジアシリーズでは、出場辞退した現役引退する予定SHINJO代わり、3試合左翼手として先発出場した(その年に主に左翼手務めていた森本稀哲が、SHINJO務めた中堅手に回る)。 2007年飯山裕志と共に代走及び守備固めとして試合終盤任され94試合出場(うち先発出場は6試合)。リリーフ捕手中嶋聡含めたスーパーサブトリオとしてトレイ・ヒルマン野球一端担った4度代打機会で3安打を打つ勝負強さ見せた2008年森本離脱時に先発出場増えたが、シーズン終盤に足を痛めたことで打撃面では低迷した。しかし代走としては前年続きここぞという場面で起用されチーム何度も救った2010年11月9日ウィルフィン・オビスポとのトレードで、須永英輝とともに読売ジャイアンツ移籍した背番号44

※この「第1次日本ハム時代」の解説は、「紺田敏正」の解説の一部です。
「第1次日本ハム時代」を含む「紺田敏正」の記事については、「紺田敏正」の概要を参照ください。

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