第二次大戦後のゼウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:02 UTC 版)
「ゼウス (自転車メーカー)」の記事における「第二次大戦後のゼウス」の解説
第二次世界大戦が終了し、ゼウスは高級自転車パーツ製造に戻った。しかしながらスペインは高級自転車部品の製造に必要な合金を作る希少金属類の入手が困難な状況におかれ、スペイン国内において希少金属獲得の競争にもさらされていた。成功を収めていた1970年代であっても、ゼウスの会社案内には「スペインが置かれている地域的ハンディキャップによって、1930年代にゼウスが既に到達していた技術的な到達は閉塞状況となり、代わってイタリアが我々の望んでいた地位に納まり、この業界のリーダーとなっている」と述べられている。 一時期ではあるがタイヤやリムも製造し、自転車を構成するほとんどの部品を製造できる数少ない総合メーカーの1つであった。サドルもコンポーネントの一部を構成していた。1960年代から1970年代にかけて前衛的なデザインで事業的には大成功を収め、普段はカンパニョーロを使用しているロジェ・デフラミンク、トム・シンプソンといった選手が部分的にゼウスの部品を使っていたことがある。1971年にツール・ド・フランスを勝ったエディ・メルクスの車体にもゼウスは使われ、ゼウスは1960-1970年代で著名な自転車部品メーカの1つであった。リック・ファン・ローイはゼウスを使用していたし、1972年のハニー・クイパーのミュンヘンオリンピック個人ロードレース優勝の際にもゼウスが使われている。また1973年にツール・ド・フランスに総合優勝を果たしたスペインのルイス・オカーニャはその後所属したスペインのプロチームであるSuper SER時代にゼウスによるスポンサードを受けフレーム・パーツを使用している。
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