第二次サルガン楽団結成
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「オラシオ・サルガン」の記事における「第二次サルガン楽団結成」の解説
1950年に、オラシオ・サルガン楽団を結成する。1950年代において、不協和音の積極的導入など、新しい発想が波紋を呼び、彼のタンゴについては、聴衆の多数派から「前衛的」との評価を受ける。1960年、キンテート・レアル Quinteto Real を結成する。キンテート・レアルでは、エレキ・ギターを入れるという斬新な発想をとっている。レオポルド・フェデリコも、キンテート・レアルのバンドネオン奏者だったことがある。日本公演も、3回こなしており多くの写真が残った。1983年のタンゴアルヘンティーノにも、オリジナルキャストとして参加している。 オラシオ・サルガンは通算400曲について作曲もしくは編曲を手がけ、ピアノ演奏の動画も数多く残された。2004年には、公式に「引退を表明」して息子のセサルにピアニストの役を譲った。YouTube に、オラシオ・サルガン本人が登場する動画が、いくつか登場している。また、2006年のドキュメンタリー映画『アルゼンチンタンゴ伝説のマエストロたち』に、レオポルド・フェデリコやマリアーノ・モーレスらと共に、登場した。引退後のサルガンはPremio Konexのガラコンサートに出演した時、89歳であった。
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