第三セクター部分存続案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:58 UTC 版)
1988年9月1日、自民党と社会党の政治折衝で比較的乗降客数が多かった名寄駅 - 下川駅間(16.5km)と紋別駅 - 遠軽駅間(49.9km)を第三セクター化して部分存続させる案が浮上した。 1988年9月16日、政治収拾を受けた北海道は第三セクター案を示した。前提条件として、要員は名寄−下川間25人のうち20人、紋別−遠軽間53人のうち42人はJR北海道からの出向者で7年間限りとし、人件費ではJRからの出向者は半分をJRが負担(7年間限り)。更新車両はJR使用車より3割ほど安い新型車を購入。運賃は10年間で初年度5%、以降5.3%、10.3%と毎年交互に引き上げ、バス運賃と同水準まで引き上げるとした。 前提条件をもとに収支を試算し、転換交付金(1kmあたり3000万円)から初期投資と定期運賃差額補助を差し引いた基金への繰入額として、紋別−遠軽間は3億8400万円を捻出したが、名寄−下川間は初期投資と定期運賃差額補助が転換交付金を上回り最初から1400万円の赤字となった。転換交付金は名寄−下川間4億9500万円、紋別−遠軽間14億9700万円。初期投資だけでも名寄−下川間で5億0600万円、紋別−遠軽間で11億0300万円を要した。 また、基金所要額は名寄−下川間が16億円で、北海道8億円、名寄市と下川町で8億円の負担。紋別−遠軽間は31億円で、北海道15億5000万円、転換交付金から4億円、紋別市と湧別町、上湧別町、遠軽町で11億5000万円の負担が必要とされた。 単年度の収支でも、名寄−下川間は初年度1億0600万円の赤字で法律補助により地元負担は5300万円、法律補助が無くなる6年目は9900万円の赤字、JRの人件費負担が無くなる8年目は1億1600万円の赤字。紋別−遠軽間は初年度2億1400万円の赤字で法律補助により地元負担は1億0700万円、6年目は1億9300万円の赤字、8年目は2億2900万円の赤字が見込まれた。 地元負担が重いことから、鉄道としての存続は断念され、1989年4月30日の旅客営業を以って全線廃止となった。
※この「第三セクター部分存続案」の解説は、「名寄本線」の解説の一部です。
「第三セクター部分存続案」を含む「名寄本線」の記事については、「名寄本線」の概要を参照ください。
- 第三セクター部分存続案のページへのリンク