第一次護憲運動の背景と発端とは? わかりやすく解説

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第一次護憲運動の背景と発端

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:56 UTC 版)

護憲運動」の記事における「第一次護憲運動の背景と発端」の解説

大正元年1912年12月第2次西園寺公望内閣陸軍大臣だった上原勇作陸軍の二個師団増設提言する。しかし行財政整理によって財源確保し日露戦争後経営完遂期す立場であった西園寺はこれを拒否した。すると上原単独陸相辞任した当時軍部大臣現役武官制現役大将中将しか陸海軍大臣にはなれなかった。この規定により、後任陸相据えることができなかった西園寺内閣は、内閣総辞職余儀なくされた。 西園寺後継内閣には、陸軍大将桂太郎が特に詔勅得て第3次桂内閣組閣することとなった(このときに対して海軍大臣斎藤実は「海軍拡張費用通らないなら留任しない」と主張し大正天皇詔勅斎藤留任こぎつけている)。これを、山縣有朋意を受けた陸軍軍備拡張推し進めようとしたものとみなし、議会中心政治などを望んで藩閥政治反発する勢力により、「閥族打破憲政擁護」をスローガンとする第一次護憲運動起こされた。

※この「第一次護憲運動の背景と発端」の解説は、「護憲運動」の解説の一部です。
「第一次護憲運動の背景と発端」を含む「護憲運動」の記事については、「護憲運動」の概要を参照ください。

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