竹中組による木下会への頂上作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:37 UTC 版)
「姫路事件」の記事における「竹中組による木下会への頂上作戦」の解説
湊の発言について竹中は「絶縁まではしないが、破門にする」と解釈、一方の高山は「一切処分しなくてもいい」と解釈していたことがさらに抗争を深刻にしてしまっている。木下会からの破門状は竹中組に届けられず、3月25日に竹中正久は、細田とともに田岡一雄の自宅を訪ね、木下会への報復を示唆した。5月に入って、竹中組岡山支部長・松浦敏夫と岡山竹中組若頭補佐・藤田光一らが、岡山駅構内で木下会幹部を待ち伏せしたものの結局遭遇できず、松浦・藤田は殺人予備罪で実刑判決を受ける。更に小椋・水杉殺害に関係した木下会組員が処分されていないことを竹中正久は知り、竹中組若頭補佐・平尾光をリーダーとして竹中組大西組・大西正一組長、竹中組幹部・高山一夫、岡山の竹中組若頭補佐・山下道夫、山口組竹中組杉本組組員・山田一の5人から成る襲撃グループが結成される。平尾らの一党は、木下会の姫路市の幹部を狙ったが狙撃の機会を得られず、岡山竹中組に移動して木下会の岡山市の幹部を狙った。それでも狙撃の機会が無く、5月6日に姫路へ戻った。 5月13日、高山雅裕は、2女の結婚式の礼の挨拶で姫路市内の知人宅を訪問し、その後、姫路市東駅前町の木下会事務所に戻った。午後6時ごろ高山は、木下会組員の森崎右、松本平次、工藤二三雄、則本一蔵を連れて、木下会事務所前に停めておいた乗用車に乗ろうとした。平尾は、大西ら4人に指示して高山雅裕に近づかせ、2メートルの距離から拳銃で9発の銃弾を発射。高山は2発の銃弾を受け、そのうちの1発が心臓に達しており即死。森崎は、頭部と右頸部を撃たれ、搬送先の病院で死亡。松本、工藤、則本は重傷を負った。平尾らは市道十二所前線を西に40メートルほど走り、小溝筋商店街を抜けて、姫路駅方面に逃走した。 この日竹中正久は、山口組若頭補佐・山本広とともに千葉県鴨川市で行われた双愛会会長の葬儀に出席し、黒沢明、名古屋市の名神会・石川尚会長、益田(啓)組・益田啓助組長らと帰途の途中だった。ボディガード役の平野一男とともに姫路駅に到着すると、徒歩で姫路市十二所前の竹中組事務所兼自宅に戻った。高山の葬儀は「あつみパラダイス」で行なわれたが、竹中正久は竹中組若衆・大西康雄とともに葬儀に出席している。
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