竹中正の武器密輸未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 09:12 UTC 版)
竹中が殺害されるより前の1月13日、竹中組相談役竹中正は、神戸市でプロレスラーのヒロ佐々木と会い、マイケル・ジャクソンの日本公演を依頼。公演の保証金5000万円は知り合いの不動産業者に支払って貰い、5月12日にハワイ州で、ジャクソンの日本公演(公演料は4億円)の基本契約書に署名した。その3日後の5月15日、ワイキキのアラモアナ・ホテルで、佐々木から竹中にアメリカ陸軍の拳銃や機関銃の購入を持ちかけられる。 報復作戦のさなかで武器が必要だったこともあり、竹中としては是非とも乗りたい話ではあったが、警察や一和会の目もあることから躊躇していた。そんな5月24日には佐々木が来日、竹中に「昭和60年(1985年)5月末日までに保証金4億円をハワイに送金すること」を求めた。 8月末、佐々木は自らの属するマフィアの結成25周年記念パーティーの招待状を、山口組幹部に送付。竹中と織田組組長織田譲二が記念パーティーに出席し、そこで佐々木から、ロケット砲や機関銃の購入を再度持ちかけられる。2人はこの話に乗り、9月3日に竹中と織田、香港の元飲食店店主梶田聖の3人で取引に赴くが、そこで連邦麻薬取締局に逮捕された。 実は、佐々木は連邦麻薬取締局の囮捜査官であり、ジャクソンの日本公演やマフィアのパーティーも全て架空の話であった。しかも、一連の取引の模様は全て隠しカメラで収録されており、動かぬ証拠となっていた。だが、1986年(昭和61年)4月26日に、竹中と織田は無罪判決を受け、釈放されている。
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