竹中派
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竹中派は竹中元之進より始まった。竹中元之進以前の系譜は不明である。 『渡辺一郎先生自筆 近世武術史研究資料集』によると弘化年間に竹中元之進の道場に所属する竹中鉄之助が天神真楊流磯道場と試合を行っている。 竹中元之進と竹中鉄之助の道場は江戸神田明神下にあった。また竹中鉄之助は佐倉藩に招聘され柔術の教授を行っている。足守藩武道指南番を務めた枝松十郎右衛門と子の枝松千葉助は共に竹中元之進の門人であり足守藩でも学ばれていた。 竹中元之進の門人には竹中鉄之助の他、市川𠀋助、土方恵、中嶋恒之助、田村伊八郎、小菅惣七、枝松十郎右衛門、枝松千葉助などがいた。 枝松十郎右衛門は備中足守藩士の人である。枝松十郎右衛門は20歳の時に藩命により江戸に出て剣術を岡田金平、起倒流を竹中元之進に学び免許皆伝を得た。1839年(天保10年)に帰藩し藩主より剣柔両道の免許祝を授かった。帰藩後すぐに給人に抜擢され足守藩主木下肥後守の剣柔両道指南番、藩士の師範役に任命された。 枝松千葉助は父より起倒流の免許皆伝を得た後江戸に上り、神田明神下の竹中元之進と竹中鉄之助から柔術と剣術、芝西久保の戸塚彦介より戸塚派楊心流柔術、麻布永坂の森要蔵より北辰一刀流を学び免許皆伝を得て帰藩した。1855年(安政2年)枝松千葉助は足守藩主木下肥後守の剣柔両道指南番、藩士の師範役となった。 竹中鉄之助の門人には、飯久保恒年、信太歌之助(青柳熊吉)、安藤健二郎、秋野庸彦などがいた。 飯久保恒年門下の鳥巣幸次郎は、1861年(万延二年)に天神真楊流の城田亀司道場と試合を行っている。
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