窃盗犯から殺人犯へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 18:07 UTC 版)
「アーチボルド・ホール」の記事における「窃盗犯から殺人犯へ」の解説
1975年、出所したホールはスコットランドへ戻る。ダムフリーシャー、カートルトン・ハウスの未亡人ペギー・ハドソンの元で執事として働き始める。当初はまた貴重品などを盗もうと考えていたが、執事という仕事も、主人であるハドソン夫人のことも気に入っていることに気が付き、盗み出すことはなかった。 1977年、猟場の管理人をしていた服役中の知り合いデイヴィッド・ライトが、ハドソン夫人の宝石を盗み、ホールの前科をネタに脅迫し口論となった。 友好的な解決を試みようとライトとウサギ狩りに出かけたが、猟場を出ると、彼を射殺し、死体をカートルトン・ハウスの小川の側に埋めた。 すぐに仕事を辞め(ハドソン夫人は明らかにがっかりしていた)、ロンドンへ行くと、82歳のウォルター・スコット=エリオットとその妻で60歳のドロシーの元で執事として働きながら、窃盗や不法行為を繰り返した。スコット=エリオットは1945年から1950年まで労働党のアクリントン選挙区の議員を務めた資産家で、スコットランド系貴族でもあった。金品を奪って仕事を辞めるという計画について共犯者のマイケル・キットと話し合っている時に、ドロシーが入ってきてしまい、キットがとっさに彼女の口を枕で塞ぎ窒息させてしまった。それからウォルターに薬を飲ませ、ハウスキーパーのメアリー・コグルに手伝わせて、スコットランドまで車で連れて行った。ドロシーの遺体はパースシャーのブレイコーに埋められ、薬で眠らされていたウォルターは絞殺された上、シャベルで殴られ、インバネスシャーのトミッチの森に埋められた。 彼らは次に、ドロシーの高価な服や宝石を身に着け、注目を浴びていたコグルを狙った。コグルは犯罪の証拠となる毛皮のコートを手放すことを拒み、ホールとキットは火かき棒で彼女を殺し、ダムフリーシャーのミドルビーの小川に死体を捨てた。彼女の遺体は、1977年12月25日に羊飼いによって発見された。 2人の最後の犠牲者となったのは、ホールの半分血のつながった弟で、小児性愛の容疑で出所したばかりのドナルドだった。2人は、ホールが休日を過ごしていたカンブリアでドナルドを見つけ、強盗の共犯にならないかと持ちかけた。計画に乗ったドナルドの身動きをクロロホルムで封じ、浴槽に沈め溺死させた。しかし、ドナルドの遺体の処理に失敗し、2人は逮捕された。
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