穴川とウナギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:55 UTC 版)
起源は定かではないが、穴川では古くからウナギ漁が行われており、漁業慣行によれば鰻筒による漁業は慶応元年(1865年)から、鰻筌(うなぎうけ、モンドリとも)は明治3年(1870年)から始まったとされる。獲ったウナギは伊勢河崎の魚市場に出荷されることもしばしばあり、2軒の鰻問屋が商いをしていた。ウナギ漁は戦後まで残ったが、現在では行われていない。 一方、ウナギ養殖は1918年(大正7年)に静岡県浜名郡出身の加茂藤吉が兵七新田を区画整理して池を造って創始した。兵七新田は明治初期に新田開発が始まったが、完成を見なかった地である。1929年(昭和4年)に志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)が開通し、穴川駅が置かれると稚魚・飼料の入荷や成魚の出荷が容易となり、最盛期の1935年(昭和10年)頃には「日本最大の養鰻場」とも言われた。1938年(昭和13年)の『磯部村勢要覧』によれば、年間生産高4万貫、出荷高12万円で磯部村の水産出荷高のほとんどを独占するまでになった。しかし、第二次世界大戦中は飼料入手が難しくなって閉鎖状態となり、戦後は1953年(昭和28年)の台風第13号や1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で打撃を受け、一時廃業に追い込まれた。現在は穴川殖産株式会社により営まれている。
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