移転後の本院とは? わかりやすく解説

移転後の本院(松原)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:02 UTC 版)

青山脳病院」の記事における「移転後の本院(松原)」の解説

移転先松沢村松原の約8,500坪の借地で、開通当初玉川電車下高井戸線山下駅から至近周囲一面麦畑であった警視庁許可下り、旧青山脳病院火災焼失から約1年半後の1926年大正15年4月7日正式に開業した郊外移転したが、病院名は引き続き青山」の名称が冠された。 新病院は、精神病患者300名以上を収容する大規模な8病棟構成された。院長職は引き続き斎藤紀一務めたが、患者逃走放火未遂器物損壊などの問題相次いで紀一は所轄世田谷署にしばしば出頭命じられ、のちに警視庁から院長更迭要求され1927年昭和2年4月25日婿養子斎藤茂吉新院長に就任した太平洋戦争中1942年昭和17年10月入院患者放火により発災し、「第4病棟」の1階全焼して女性患者1名が死亡した戦争の長期化につれて人員資材不足して経営が困難で、茂吉老い診療限界自覚したことから、松沢病院被災時の予備として打診したのちに東京都移譲し自身山形郷里疎開した。1945年昭和20年5月18日に「東京都立松沢病院 梅ヶ丘分院となったが、1週間後5月25日アメリカ軍空襲半焼した。 松沢病院梅ヶ丘分院1952年昭和27年)に「東京都立梅ヶ丘病院」として独立し2010年平成22年)の閉院まで小児精神病院として診療した。

※この「移転後の本院(松原)」の解説は、「青山脳病院」の解説の一部です。
「移転後の本院(松原)」を含む「青山脳病院」の記事については、「青山脳病院」の概要を参照ください。

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