称号決定の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:19 UTC 版)
譲位した天皇の后の称号としては、歴史的には皇后を維持した例や皇太后とした例などがあった。そのため、当初は皇室典範に規定がある「皇太后」を称号として用いる案もあった。しかし、香淳皇后などのイメージから現代では未亡人の印象が強い「皇太后」を、退位した天皇の配偶者の称号として使用することに対して、不安を覚える者もいた。天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議のメンバーである山内昌之は、次のように述べている。 「 お辞めになった天皇のきさきの称号として、本当は皇太后がふさわしい。しかし、未亡人(配偶者である夫と死別した女性)というイメージが非常に強く、戦後の政府官報の英語版にも「皇太后は夫を亡くした皇后を指す」と書いてある。率直に言って使えないと思った 」 上記の事情に加えて、天皇の退位が憲政史上初めてであることから「歴史に引っ張られる必要はない」といった声もあった。現行の皇室典範では、民間出身で婚姻により皇族の身分を取得した女性の称号は、「皇后」・「親王妃(皇太子妃も含む)」・「王妃」など、天皇及び皇位継承権を有する男性皇族(親王・王)の称号と后、妃を組み合わせたものであり、美智子(旧姓:正田)も初の民間出身であることから、それに合わせて有識者会議は、その責任において新たに創作した「上皇后」を用いるべしと最終的に結論を出した。その後、政府の法案に基づく天皇の退位等に関する皇室典範特例法が国会にて可決され、「上皇」と「上皇后」の称号を用いるものと公式に決定された。 なお、「上皇后」という称号自体は、中国前趙の昭武帝の皇后である靳月光(きん・げっこう)の時に使用されている。しかし、彼女の場合太上皇の后ではなく三后並立の場合には昭武帝の一皇后としての意味合いで加号された。従って彼女「上皇后」の他に「右皇后」「左皇后」が皇后として並存している。
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