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秋沢芳馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 01:58 UTC 版)

秋澤 芳馬/秋沢 芳馬(あきざわ よしま、1869年12月31日明治2年11月29日) - 1971年昭和46年)7月20日)は、日本海軍軍人海軍少将従四位功三級高知県出身

経歴

土佐勤王党員および近衛砲兵大尉・秋沢貞之の二男として生まれる。1891年(明治24年)7月、海軍兵学校18期を61名中9位で卒業。卒業後は「比叡」乗組となる。1894年(明治27年)3月、海軍少尉に任官。「厳島」分隊士、横須賀鎮守府海兵団分隊士、砲術練習所学生を経た後、「橋立」分隊士として日清戦争に出征した。1897年(明治30年)12月に海軍大尉に進級し、「高雄」分隊長、「千代田」砲術長、海兵砲術教官、「筑波」分隊長、「金剛」「千歳」の各砲術長を歴任し、1903年(明治36年)9月、海軍少佐に進級。

日露戦争時は「千歳」砲術長として出征。日本海海戦には「八雲」砲術長として参加した。その後は「朝日」砲術長や東宮武官を勤めた後、1907年(明治40年)9月、海軍中佐に進級。「生駒」副長、横須賀海兵団団長、「最上」副長、「新高艦長などを経て、1913年(大正2年)12月、海軍大佐に進級した。

呉海兵団団長、「丹後」艦長、台湾総督府海軍参謀長を経て、1916年(大正5年)12月、「伊勢」艤装員長を任ぜられ、翌年の竣工と共に初代艦長に着任。

1918年(大正7年)12月、海軍少将に進級と同時に待命。1919年(大正8年)8月、予備役に編入され、1930年(昭和5年)11月に退役となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]1971年(昭和46年)7月、101歳で死去。

栄典

位階
勲章

親族

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。
  2. ^ 『官報』第3236号「叙任及辞令」1894年4月17日。
  3. ^ 『官報』第4413号「叙任及辞令」1898年3月22日。
  4. ^ 『官報』第5963号「叙任及辞令」1903年5月21日。
  5. ^ 『官報』第3729号「叙任及辞令」1907年12月2日。※秋沢保馬と誤記載
  6. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  7. ^ 『官報』第3866号・付録「叙任及辞令」1896年5月21日。
  8. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  9. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  10. ^ 『官報』第2528号「叙任及辞令」1921年1月8日。
  11. ^ 『官報』第2918号「叙任及辞令」1922年4月27日。
  12. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。p12

参考文献

  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第9巻、発売:第一法規出版、1995年。



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