福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件
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「飯塚事件」の記事における「福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件」の解説
1988年(昭和63年)12月4日、本件被害者と同じ小学校の1年生女児(7歳)が、弟とともに久間の息子を訪ねて100メートル離れた久間宅に遊びに行った後、行方不明となる事件が発生していた。なお、久間が最後の目撃者である。 福岡県警は、1994年の逮捕後に久間のポリグラフに対する顕著な反応が出たことがきっかけで久間や女児の住む団地近くの雑木林を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーを発見し、女児の母親が確認した。県警には、団地近くの山林に久間が当時頻繁に出入りしていたとの情報が寄せられていた。発見された衣類は比較的傷みが少ない状態であり、捜査幹部によると、失踪後数年してから捨てられた可能性があるという。その後、衣類発見現場から約3メートル離れた土中から子供のような骨3点が見つかったが、骨自体が小さく骨髄液を検出できなかったため、人骨と断定できないという結論となった。 久間は、事件当日に女児と会ってチョコレートをあげたということは認めており、女児の衣類を見せられると動揺した様子をみせて「骨も一緒にみつかったのか」などと捜査員に質問した。しかし、「自分は事件とは無関係だ」と供述するなど、事件の関与については全面否定した。その後進展なく1995年2月18日、捜索は打ち切られ、現在も未解決であり、事件に巻き込まれたのか事故に遭ったのかも不明。
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