福岡移転後 - 杉浦監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:28 UTC 版)
「福岡ソフトバンクホークス」の記事における「福岡移転後 - 杉浦監督時代」の解説
1989年 4位に終わるも、優勝した近鉄に13勝11敗2分、2位のオリックス・ブレーブスに12勝13敗1分、3位の西武に11勝13敗2分と上位球団と互角に戦い、最終的に1位と3位のゲーム差が0.5、勝率が2厘差というパ・リーグ史上最大の混戦を演出する立役者となった。さらに準本拠地(当時)の北九州市民球場では7戦全勝だった。4位までのチーム同士ではほぼ5割と大接戦となりダイエーにも優勝の可能性はあったが、上位3チームと違い5位日本ハムには2つの勝ち越し、6位ロッテに対しては9勝15敗と大きく負け越しこれが優勝は疎かAクラス入りにもできなかった要因となってしまった。1980年代では全てBクラスで終わった。投手陣では初の2桁の12勝を挙げた加藤伸一が軸となり、野手では佐々木誠・藤本博史・岸川勝也などの新戦力も台頭。10月5日の西武戦では8点差をひっくり返す大逆転劇を見せた。井上祐二が27SPでチーム初タイトル。杉浦はこの年をもって監督を勇退し、田淵幸一が監督に就任。田淵と西武時代に同僚だった黒田正宏がヘッドコーチ、大田卓司が打撃コーチに就任。直後のドラフトで野茂英雄のはずれ1位指名で元木大介の交渉権獲得も入団を拒否される。
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