祭壇画の制作依頼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 23:24 UTC 版)
1483年4月25日にサン・フランチェスコ・グランデ教会司教バルトロメオ・スコルリオーネと無原罪の御宿り信心会が、レオナルドとアンブロージオ、エヴァンジェリスタのデ・プレディス兄弟に礼拝堂祭壇画の制作を依頼した。このときに結ばれた契約内容には、3名の画家の役割が明確には謳われていなかった。契約書にはレオナルドは「マスター(親方)」、アンブロージオは「画家」として記されている。エヴァンジェリスタは金箔師と顔料の調合、準備を担当していたと考えられている。 無原罪の御宿り信心会とレオナルドらが交わした契約書には、描かれる祭壇画の構成や色使いなどの仕様が指定されていた。中央パネルには、聖母マリアと幼児キリスト、おそらくダヴィデとイザヤと思われる二人の預言者、さらにこの4名の周りに天使たちを描くこととなっていた。また、祭壇画上部の半円形のルネット部分には父なる神と聖母マリアと馬小屋のレリーフが配されることになっていた。レリーフの人物像には鮮やかな彩色がなされ、金箔が貼られる予定だった。中央パネルの両横には4人の歌う天使のパネルと楽器を奏でる天使のパネルが置かれるはずだった。その他、マリアの一生を表現した多くのレリーフの制作が指定されており、主要な箇所の色使いや金箔使用量などが契約書に詳細に記載されていた。 無原罪の御宿り信心会から祭壇画の納品日に指定されたのは1483年12月8日で、この日は無原罪の御宿り信心会の祝日に当たる日だった。レオナルドたちに与えられた祭壇画制作期間は8カ月しかなかったのである。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 作者未詳の天使。ベルナルディーノ・ルイーニ、あるいはフランチェスコ・ナポレターノではないかとされている。 アンブロージオ・デ・プレディスが描いたといわれている天使。
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