神輿の御旅所入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:37 UTC 版)
浅間神社を出発した神輿行列は、本町通り中程に設けられた御旅所(上吉田コミュニティセンター/位置)を目指して進んでいく。ただし移動と言っても、一気に向かうのではなく、同じ場所を行きつ戻りつつ数回の休憩を挟みながら、ゆったりとした速度で進んでいく。この際、赤富士をかたどった御山神輿を数回、どすんどすんと路上に投げ落とす。これは御山神輿(おやまさん)を富士山になぞらえ、代わりに噴火させているものだといわれている。 吉田の火祭りの神輿渡御における御旅所は、江戸時代には上吉田中宿(現在の中町)東側に位置した諏訪明神神主である佐藤上総(御師大玉屋)の屋敷であった。1875年(明治8年)からは上吉田中宿西に開校した吉田小学校(現、富士吉田市立吉田小学校)の広場が御旅所になった。1935年(昭和10年)に吉田小学校が現在地へ移転して、旧校地が福地村公会堂や山梨県林業試験場となっても、そこが御旅所であった。1975年(昭和50年)に現在の御旅所が設営される上吉田コミュニティーセンターが建設されて以来、ここが御旅所となり今日まで使用されている。このコミュニティーセンターは最初から御旅所としての利用を考慮して設計されており、現在の祭礼を行う上で重要な役割を果たしている。 日が沈んだ午後6時を過ぎた頃、2台の神輿を従えた神輿行列は御旅所に入る。御旅所の入口には火の見櫓があり(北緯35度28分41.7秒 東経138度47分38.74秒 / 北緯35.478250度 東経138.7940944度 / 35.478250; 138.7940944 (吉田の火祭/御旅所火の見櫓/位置))、その両側には世話人によって立てられた2本のモミの木による御神木があり、注連縄が張られている。神輿行列はこの火の見櫓の下を潜って御旅所入りをする。最初に入る明神神輿の屋根に立つ鳳凰のくちばしで、その注連縄を切り落としていくことになっている。セコたちの掛け声は最高潮に達し、見事に鳳凰のくちばしで注連縄が切り落とされると、群集から大きな拍手喝采が起き、それに続く御山神輿とともに神輿行列は御旅所になだれ込んでいく。 2台の神輿は御旅所内の台座の上に向かって右側に明神神輿、左側に御山神輿が安置され、両神輿の前には2名ずつ神職がついて共奉する。御旅所に神輿が安置されると、ただちに御旅所着輿祭と奉安祭の神事が始まり、神職(浅間神社および御師団年行事)、氏子総代、世話人、セコ一同が、神輿の前に整列して拝礼を行う。 御旅所に駆け込む神職御旅所になだれ込む明神神輿御旅所になだれ込む御山神輿
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