研磨の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 14:42 UTC 版)
日本刀の研磨は上古刀期の直刀期からすでに始まっているが、世界の他の国の刀剣と違い、刀身そのものを鑑賞し、価値を見出した時より、高度な研磨が求められるようになったと思われ、また逆に刀身が持つ地鉄、刃文の美的要素を引き出す研磨法が考案され研究されるに従い、刀身そのものを鑑賞する習慣が生まれたと思われる。 南北朝期、足利尊氏に仕えたと伝えられる本阿彌妙本を祖とする本阿彌家が主に時の権力者の刀剣研磨、鑑定を司り、九代本阿彌光徳の時代に差し込み砥ぎ研磨法、刀剣鑑定法を確立した。本阿彌家は多くの分家を生み、その中には本阿彌光悦もいる。本阿彌本家は、刀剣鑑定に折り紙(優れた物を「折り紙付き」と言うのは、これを語源とする)を発行する権利を徳川幕府より保証され、絶大な権限を持ち、他の刀剣研磨を生業とする者を町砥ぎと称するのに対し、家砥ぎと称する秘伝の研磨法を維持相伝した。 幕末に至り、武士の身分が消滅するに及んで、刀匠、刀剣研磨業も衰退したが、武用より美術鑑賞面を強調することにより命脈を保ち、美的面を強調し、地鉄をより黒く、刃をより白く見せる研磨法が本阿彌平十郎により考案され、その養子、本阿彌淋雅によってさらに発展され、その門人、平井千葉によって技法が確立されるに及んだ。淋雅のもう一人の門人、本阿彌光遜によって、一般に刀剣鑑賞の裾野を広げる努力が行われ、秘伝とされた鑑定法、研磨法も公開されることになった。 戦後、平井千葉の実子で本阿彌淋雅の養子になった本阿彌日洲、本阿彌光遜の門人、小野光敬、永山光幹、また昭和初期に鑑定家、刀剣商として知られた藤代義雄の弟、藤代松雄の4人が、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
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