石炭から石油を
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 16:26 UTC 版)
GTLの技術は1923年(大正12年)にドイツでフランツ・フィッシャーとハンス・トロプシュにより発明された。第二次世界大戦中はドイツ側陣営が利用可能な石油資源が限定的だったため、戦闘機や戦車への燃料供給が賄えなかったことから、ナチス政府が技術開発を指示したことが背景にある。現在、GTLは天然ガスを加工する技術として位置付けられているが、当初は石炭をガス化させたものを化学反応により液化するCTL/石炭液化技術として開発された。 開発当時の原油価格ではGTL/CTLによる人造石油は価格競争力がなかったが、戦時にはドイツは英国海軍に海洋封鎖されることが予測されたため、安全保障の観点から研究が推進された。第二次世界大戦中のドイツでは、ナチス政府による保護の下、GTL技術を用いた人造石油が量産され、軍用/民間燃料をCTLでまかなうことができた。 同じ時期に日本でもドイツから導入した技術をもとに、石炭からの人造石油の製造が進められたものの、技術力や物資が不足しており、工場も爆撃破壊されたことから計画通りに行かず、失敗に終わった。 日本では1937年(昭和12年)に人造石油製造事業法(昭和12年法律第52号)が制定され、1940年(昭和15年)に福岡県の大牟田と北海道の滝川にGTL工場(北海道人造石油)が建設された。同工場では、ガソリン、軽油及びワックスが生産されたが、生産量は戦時下の需要を満たす規模とはならなかった。大牟田の工場は1945年(昭和20年)に爆撃破壊され、その他の工場も建設途中で爆撃されるなど完成には至らなかった。滝川の工場は終戦後数年間操業を続けたが、採算性に乏しく、1952年(昭和27年)に経営破綻した。(GTL/CTLの生産コストは1バーレル30ドル、販売価格50ドルでないと採算に乗らない。2012年の原油価格は1バーレル100ドルまで上昇したが、当時は1バーレル4ドルであった)
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