相補的なヌクレオチド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:09 UTC 版)
「分子生物学の歴史」の記事における「相補的なヌクレオチド」の解説
ワトソンとクリックは、モデリングにおいて、化学的そして生物学的に妥当であるように見えるものだけに限定することにした。それでもまだ可能性の幅は非常に広かった。ブレイクスルーは1952年エルヴィン・シャルガフがケンブリッジを訪れたことでもたらされ、シャルガフが1947年に発表した実験の説明はクリックにひらめきをもたらした。シャルガフは、4つのヌクレオチド比率はDNA試料によってさまざまであるが、特定のヌクレオチドのペア (アデニンとチミン、グアニンとシトシン) は常に同じ比率で存在していることを発見していた。 フランクリンのX線回折や他のデータ、そして塩基が対になっているという情報をもとに、ワトソンとクリックは1953年にDNAの分子構造の最初の正確なモデル (二重らせん構造) に到達し、それは精査を行ったフランクリンによっても受け入れられた。発見は1953年2月28日に発表され、最初のワトソン/クリック論文は1953年4月25日にネイチャー誌に掲載された。ワトソンとクリックが勤務していたキャヴェンディッシュ研究所の所長ローレンス・ブラッグは、1953年5月14日にロンドンのガイズ病院(英語版)医学校で講演を行い、リッチー・カルダー(英語版)によって "Why You Are You. Nearer Secret of Life" と題された記事となってロンドンのニューズ・クロニクル(英語版)紙に5月15日に掲載された。そのニュースは翌日にはニューヨーク・タイムズ紙の読者に届くこととなった。Victor K. McElhenyは、伝記 "Watson and DNA: Making a Scientific Revolution" のための調査中に、ロンドンから書かれたニューヨーク・タイムズ紙の5月16日付の "Form of 'Life Unit' in Cell Is Scanned" という見出しの6段落の記事を発見した。この記事は早版に掲載されており、その後、より重要と思われる記事のスペースのために除かれた。(ニューヨーク・タイムズ紙はその後6月12日により長い記事を掲載した。) ケンブリッジ大学の学生新聞も5月30日に発見に関する短い記事を掲載した。1962年にワトソン、クリック、ウィルキンスは、DNAの構造の決定の業績で合同でノーベル生理学・医学賞を受賞した。
※この「相補的なヌクレオチド」の解説は、「分子生物学の歴史」の解説の一部です。
「相補的なヌクレオチド」を含む「分子生物学の歴史」の記事については、「分子生物学の歴史」の概要を参照ください。
- 相補的なヌクレオチドのページへのリンク