白楊社閉鎖後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:53 UTC 版)
1931年(昭和6年)豊川が3,000ccの空冷式V8エンジンを試作(未完成)。 1958年(昭和33年)10月、東京・後楽園競輪場で開催された第5回全日本自動車ショウ(東京モーターショー)にオートモ号の現存車が出品される。 この時期はタクリー号から半世紀ということで戦前の日本の自動車工業史を見直す機運が日本国内で盛り上がっており、オートモ号もその果たした歴史的意義が見直され、豊川らは著述や口述で記録を残す若干の機会を得ている。 1965年(昭和40年)3月7日、豊川順彌死去。 1966年(昭和41年)4月12日、豊川が保管していたオートモ号の部品や資料類が豊川の遺族により国立科学博物館に寄贈される。 1995年(平成7年)8月、国立科学博物館とトヨタ博物館がオートモ号復元に向けた共同調査を開始。 1999年(平成11年)1月、オートモ号の復元車が完成。
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