発見から探査機による観測以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 09:04 UTC 版)
「イオ (衛星)」の記事における「発見から探査機による観測以前」の解説
発見されてから250年ほどの間は、イオは望遠鏡で5等級の点として観測される天体のままであった。17世紀の間にイオやその他のガリレオ衛星は、経度の決定する初期の手法、ケプラーの第三法則の検証、木星と地球の間を光が進むのに必要な時間の決定など、様々な目的を果たすために用いられた。天文学者のジョヴァンニ・カッシーニらによって作成された天体暦に基づき、ピエール=シモン・ラプラスはイオ、エウロパ、ガニメデの共鳴軌道を説明するための数学理論を構築した。この共鳴はのちにこれら3つの衛星の地質に大きな影響を及ぼすことが判明した。 19世紀後半から20世紀にかけての望遠鏡技術の進歩により、天文学者はイオの大規模な表面の特徴を光学的に分解できるようになった。1890年代に、エドワード・エマーソン・バーナードがイオの赤道領域と極領域の明るさに違いがあることを初めて観測した。バーナードと同期の天文学者であるウィリアム・ヘンリー・ピッカリングはイオが卵状の形状をしていると解釈し、バーナードも初めは2つの分離した天体からなると考えていたが、後に2つの領域で色とアルベドが異なることが原因であると正しく解釈した。後の望遠鏡観測で、イオの明確な赤茶色の極域と、黄白色の赤道帯が確認された。 20世紀中盤の望遠鏡観測では、イオの異様な性質が明らかになり始めた。分光観測からは、他のガリレオ衛星とは異なり表面に水が全く存在していないことが示唆された。同じ観測では、表面はナトリウム塩と硫黄からなる揮発性物質が占めていることが示唆された。電波望遠鏡観測では、イオの軌道周期と結びついたデカメートル波の波長でのバーストなどに見られるような、木星の磁気圏にイオが及ぼす影響も明らかになった。
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