発見からの経緯とは? わかりやすく解説

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発見からの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 03:18 UTC 版)

敦煌文献」の記事における「発見からの経緯」の解説

1900年莫高窟の第16窟の中にいた道士・王円籙が崩れ落ちた壁の中四畳半ほどの空間(耳洞)があることを発見し、その中に封じられていた大量経典写本文献発見した発見に至る経緯については王円籙の証言にも食い違いがあり、はっきりしない。ところが王円籙は字が読めなかった。取り扱い困った王円籙はこのことを地方官報告したが、適当に処理しておけと言うだけで見向きもしなかった。この空間は後に第17窟と番号付けされ、「蔵経窟」「宝庫」などと呼ばれることになる。 この噂をどこからか聞きつけてやってきたのがイギリス探検家オーレル・スタインである。1907年スタインは王円籙を言いくるめてわずか馬蹄銀4(約500ルピー)の代価数千余り経典数々ロンドン大英博物館へと持ち帰った。この功績によりスタインSir称号受けている。翌年今度フランスポール・ペリオがやって来た。ペリオ中国語精通しており、山積み文献の中から特に価値の高いものを選んで数千点を買い取ってパリへ持ち帰った。 この話を聞いた清朝政府はようやく敦煌文献保護命じ北京へと持ち帰らせた。しかし王円籙は一部をまだ隠し持っており、その次にやってきた日本大谷探検隊1912年)やロシアオルデンブルク探検隊1914年)に数百点ほどを渡している。その後やってきたアメリカウォーナー探検隊1924年)は壁画薬品使って剥いで略奪していった。

※この「発見からの経緯」の解説は、「敦煌文献」の解説の一部です。
「発見からの経緯」を含む「敦煌文献」の記事については、「敦煌文献」の概要を参照ください。

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