発表と評判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/12 15:26 UTC 版)
「ロジャー・ヤングのバラード」の記事における「発表と評判」の解説
こうして作曲された『ロジャー・ヤングのバラード』は、アール・ライトソン(英語版)がギター伴奏に乗せて歌ったものが1945年初頭にメレディス・ウィルソンの番組で初めて放送された。当初は商業的な成功をおさめる曲ではないと見なされ、唯一バール・アイヴスのレコード『The Foggy, Foggy Dew(英語版)』のB面に収録された。広報歌という性質上、何らかのチャートにその名を載せる事は無く、当時の人気を具体的に証明する者は存在しない。 しかしその後、この曲は広く紹介される事となり、これをウィリアムとナンシー・ヤングは「長らく求められていた後援」と評した。1945年3月5日のLIFE誌は、111ページから117ページまでを『ロジャー・ヤングのバラード』の紹介に割き、陸軍では演奏のためにコンバット・インファントリ・バンド(Combat Infantry Band)を結成した。1949年にロジャー・ヤングの遺骨が帰国すると、再びこの歌への関心が高まり、同年には高い売上を記録したという。 その後、いくらかの作家や作曲家によってこの曲は戦中戦後を通じて人気のあった曲として紹介されるようになった。例えばジョン・ブッシュ・ジョーンズ(John Bush Jones)は、この曲を「一つの感動」、「単純ながら影響強い曲」、「当時のアメリカ人に大きな衝撃を与えた」などと評している。M・ポール・ホルシンガー(M. Paul Holsinger)は、ライトソンによる録音が戦時中に最も求められた曲の1つになったと評しており、また陸軍バンドの団員フランク・F・マティアス(Frank F. Mathias)は、その後この曲がアメリカ歩兵によって「最も愛されるテーマ」になったと語っている。
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