発生に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:28 UTC 版)
事件当日、福岡県は梅雨の末期で、その影響から試合開始が当初予定されていた15時より1時間55分遅れて16時55分となった。当時平和台球場にはナイター設備がなかったものの、プロ野球の試合展開は現在と比べると早かったということもあり、途中でトラブルがなければ日没の19時29分までに充分間に合うだろうと踏んで試合が開催された。 しかし2回表の毎日の攻撃中に15分間、更に3回裏の西鉄攻撃中にも1時間の試合中断があった。本来1時間以上の中断でグラウンドコンディションが改善されない場合は試合中止(この場合は5回を消化していないのでノーゲームとなる)になるところだが、悪コンディションのグラウンドに砂が撒かれ試合は再開された。 そして西鉄が5-4とリードして迎えた4回裏、毎日の湯浅禎夫総監督は選手に遅延行為をさせ、わざと試合を遅らせてノーゲームにしようという作戦に出た。この時の毎日投手は和田勇、捕手は土井垣武で、年長者である土井垣が遅延策の主導権をとった。試合中にもかかわらず個々の選手をダッグアウトに引き上げて水分補給させたり、普通の守備行為で捕れるフライをわざと捕りこぼさせる、捕手がサインを出さない、投手に執拗に牽制球を投じさせて打者に投球をしないなどの露骨な遅延策を行ったのである。これに対し西鉄の打者もわざと三振するという作戦で試合展開を進めようとするが、田部輝男が振り回したバットにボールが思いがけず当たってしまい、西鉄はこの回に4点を取ってスコアは9-4となった。4回を終了したのが19時20分で、西鉄は即守備位置に付いたものの、毎日の打者はバッターボックスに立たず、湯浅総監督は浜崎忠治率いる審判団に「これ以上ゲームはできない」とノーゲームを提案。審判団との協議の結果、結局試合はノーゲームとなった。
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