発生から被疑者の逮捕、起訴まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 15:24 UTC 版)
「京都五番町事件」の記事における「発生から被疑者の逮捕、起訴まで」の解説
1955年4月10日夜、兄弟であるA(兄)とB(弟、当時20歳)は、五番町の遊廓街を遊び歩いていたところ、10時半頃に路上で高校生らしき4人の男に遭遇し、喧嘩となった。AとBは逃げ出したが、高校生らはAとBの後を追いかけ、Bに追いつくとさらなる暴行を加えた。Bがぐったりしたことを見据え、高校生たちは暴行を止めその場を去った。Aは逃げるのに必死だったため弟の行方をこの時点では知らなかった。 この夜11時頃、京都市西陣警察署に「五番町で人が刺されて倒れている」との一報が入り、警察官が現場へ駆けつけた。このときBはすでに病院へと搬送されていたがその2日後に死亡。死因は臀部や背中をナイフで刺された事による大動脈損傷の失血死であった。 喧嘩が起こった当時、逃げるAとBに対して高校生が「殺せ!」などと怒声を上げながら追いかけていたところを店の前で女性に目撃されていたことなどから、翌日朝高校生4人は逮捕される。 4人は下駄やスリッパ、ハーモニカを用いて殴る蹴るの暴行をしたことを認めたが、ナイフで刺した事に関しては4人全員がこれを否定した。のみならず、自分たちも酒に酔っていたため仲間のうち誰が刺したのかも覚えていないと証言した。 逮捕から9日目、高校生の一人がナイフで刺した罪を認め、凶器は現場近くのマンホールの中へ投げ捨てたと証言。これをもとに4時間の捜索を行ったが、ナイフはどこからも見つからなかった。それから数日後、今度は別の高校生が自供し、凶器は林の中に捨てたと供述した。しかしこれもまた凶器はどこからも見つからなかった。この2件の自供を皮切りにこれまで容疑を否認してきた4人が次々と容疑を認めナイフを捨てた場所を証言。ただしナイフは見つからず、最終的に高校生らが証言した凶器の在処は実に30箇所を超えていた。 警察はナイフが見つからないまま4人を送検。京都地方検察庁は6月3日に暴力行為等処罰に関する法律違反傷害致死罪で起訴した。これを機に捜査本部は解散した。
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