男性同性愛誌「ADONIS(アドニス)」の発行
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「アドニス会」の記事における「男性同性愛誌「ADONIS(アドニス)」の発行」の解説
アドニス会はまた、日本初の会員制の男性同性愛雑誌『ADONIS(アドニス)』(1952年9月10日創刊 - 1962年63号で廃刊)と、別冊として小説集『APOLLO(アポロ)』、会員による手記集『MEMOIRE(メモワール)』を発行していた。アドニスの表紙には「ADONIS -THE MAGAZINE OF ADONIS SOCIETY-」と印字されている。 三島が榊山保名義で「愛の処刑」をAPOLLOに寄稿したことが知られており、中井英夫は碧川潭などの名義で「虚無への供物」等の作品をADONISに、「とらんぷ譚」、「おりんぴあど譚」、「青蛾の嘆き」をAPOLLOに寄稿し、塚本邦雄は菱川紳名義で作品を寄稿していた。 アドニスの初代編集長は『人間探求』(第一出版社、1950年創刊)編集者でもあった上月竜之介であった。人間探究は性風俗雑誌で、同性愛についても時折取り上げており、同誌編集部には同性愛者の苦悩を訴える投書が届けられていたことなどから、それが彼にアドニスの発刊を決意させたとされる。アドニス会設立の告知も人間探求誌上でなされている。ちなみに『人間探求』を主催していたのは高橋鐵で、彼は他にも『あまとりあ』を主催していた。 15号からは中井英夫のパートナーで作品社(第2次)社主であった田中貞夫が2代目編集長となり、執筆陣には『人間探求』のほか『あまとりあ』で書いていた人もいた。 1962年に警察の取り締まりで廃刊になったが、そのことは『風俗奇譚』で「ホモの窓:捕まった男色クラブ」(1962年6月号)として取り上げられている。同誌は、1970年代に創刊ラッシュを迎えることになる商業ゲイ雑誌のプロトタイプの一つになった。
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