男女平等憲法修正条項への反対
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 08:32 UTC 版)
「フィリス・シュラフリー」の記事における「男女平等憲法修正条項への反対」の解説
1970年代、STOP ERA キャンペーンの主催者として男女平等憲法修正条項(ERA)に対してあからさまに反対の立場を取った。この場合の"STOP" は"Stop Taking Our Privileges" (私達の特権を取り上げるな)の頭文字である。社会保障制度の「扶養妻」の恩恵、徴兵登録の免除などを含む女性としての性差における特権をERAが取り上げることに異議を唱えた。 1972年、彼女がERAに反対し始めた頃、承認必要数38州に対し28州のみを獲得しており、承認には遠かった。彼女のキャンペーン後、5州がERAに承認したが、5州が承認を撤回。インディアナ州上院議員ウエイン・タウンセンドが承認の同点を破りインディアナ州はERAを承認。シュラフリーは「the ERA would lead to women being drafted by the military and to public unisex bathrooms. (ERAは女性を徴兵し、男女兼用公衆トイレを作るつもりなのか)」と異議を唱えた。全米女性機構(NOW)とERAアメリカ連合などの団体にも反対した。シュラフリーのSTOP ERA キャンペーンに反対するHomemakers' Equal Rights Association (主婦平等権利協会)が組織された。 ERAは承認必要数38州のところ35州(撤回された5州を差し引くと30州)の僅差で敗退した。 シュラフリーの評論家は彼女の主張する平等権反対意見と職業婦人としての彼女の矛盾を指摘。グロリア・スタイネムや作家のPia de Solenni などはシュラフリーが弁護士、月刊誌の編集者、反リベラル団体のレギュラー・スピーカー、政治活動家であるのに、シュラフリーは専業主婦および母親の支援者であるようにしていることへの皮肉を記している。シュラフリーの著書『Feminist Fantasies 』のレビューでde Solenni は「シュラフリーの考察は矛盾している。彼女は家族とキャリア、全てを持っている。そして彼女は彼女のために全てを与えようとしている者達と戦っている。妻であり母であり夫と共に働くことが彼女の目標であって、他の女性達やその家族を助けることが目標ではない」と記した。
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