甲SSB指揮官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 09:00 UTC 版)
嶋田繁太郎軍令部総長は、5月3日付で豊田副武連合艦隊司令長官に大海指373号(あ号作戦)を示達し、日本海軍は連合国との決戦態勢に入る。この大海指では中部太平洋ヨリ比島又は豪北方面での戦闘が想定されていた。潜水艦先遣部隊は偵察、邀撃の命令を受けて出撃し、第五一潜水隊の各艦は、日本、トラック、サイパンからナ散開線に出撃した。この散開線は連合艦隊と第六艦隊の協議で決定され、位置はマヌス島北方の北緯0度、東経150度付近である。この位置は、連合国の来攻が想定されていた西カロリン(マリアナ諸島の南方)への経路と考えられていた。 加藤は甲SSB指揮官として7隻を率い5月22日に展開を終えた。各艦の配置は北東から南西方向に、呂106、呂104、呂105、呂116、呂109、呂112、呂108である。しかし同日に呂106が撃沈され、また翌日には哨戒機によって呂104が発見されたと推定される。大和田司令官は23日に北東の三隻に南東方向へ移動を命じ、これに対応して潜水艦が電波を出した。25日、危険を感知した呂109は独断で西方向に移動する。28日、大和田司令官は全艦に西方への移動を、30日以降、順次帰還命令を発している。しかし帰還したのは呂109と呂112の2隻であった。 加藤指揮下の潜水艦5隻は22日から31日にかけて次のように撃沈されていたのであった。加藤自身は呂105に乗艦しており、5月31日に戦死している。この潜水艦の大量喪失はナ散開線の悲劇とも呼ばれる。 日付艦名出来事原因潜水艦長戦死者数5/22 呂106 撃沈 ヘッジホッグ攻撃 宇田恵泰 49名 5/23 呂104 撃沈 ヘッジホッグ攻撃 出淵愈 58名 5/24 呂116 撃沈 ヘッジホッグ攻撃 岡部猛 56名 5/26 呂108 撃沈 ヘッジホッグ攻撃 小針寛一 53名 5/31 呂105 撃沈 ヘッジホッグ攻撃 井上順一 55名 米海軍は哨戒機による発見、無線状況、理論的な推測から潜水艦の位置を推定し、ハンター・キラーグループを派遣した。レーダーで潜水艦を探知したうえで護衛駆逐艦イングランドが、ヘッジホッグによってナ散開線にあった5隻を撃沈したのである。こののち連合国軍はビアク島、マリアナ諸島に出現し、ビアク島の戦い、サイパン島の戦い、マリアナ沖海戦が生起した。
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