甲陽学院での教育
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高井は1947年に茨城師範学校から甲陽学院へ転任した。ここには甲陽学院の経営者の親族であった辰馬悦蔵の、学校に優秀な教師を迎えたい、との依頼を受けた高井の師でもある梅原末治が、高井を推薦したとの経緯がある。 学校では社会と日本史を教えた。また、中学の社会部、高校の地歴部の顧問として生徒を指導した。 教え子の一人である五十川伸矢(京都橘大学)は高井の授業について、高い専門性に基づき原始時代から奈良時代までを1年間かけて詳しく講義した、旨を述懐している。また高井と甲陽学院中学・高校の同僚教師であり、後、同校の校長となった山下正昭は高井について、 歴代ユニークな先生も多く、私が数学で教壇に立ち始めた当時、日本史担当の高井悌三郎先生は高名な考古学者でしたが、授業はいつまでたっても古墳時代から先に進まず…。そのお陰か、田辺征夫や東野治之をはじめ高名な歴史学者になった教え子も幾人かいるようです。 — 山下正昭、蔵元が育んだ名門校のいま/学校法人 辰馬育英会 甲陽学院中学校・高等学校 校長 山下正昭さん(神戸っ子アーカイブ) と述べている。 高井の教え子には以下の者がいる。 橋本久 東野治之 笠谷和比古 舘野和巳 竹永三男 田辺征夫(元奈良文化財研究所長) 地歴部に属していた田辺は高井より、「現場の土をひたすら観察せよ。古(いにしえ)がよみがえる。」と教わった、と述べている。 小林謙一 宇野隆夫 酒井一(三重大学) 五十川伸矢(京都橘大学) 彼ら教え子によって、高井が喜寿(77歳)の折には、『歴史学と考古学 高井悌三郎先生喜寿記念論集』(1988年、真陽社)が刊行されている。
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