甲陽工業専門学校時代
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「甲陽高等商業学校」の記事における「甲陽工業専門学校時代」の解説
1944年2月25日:工業専門学校へ転換、甲陽工業専門学校設置 (文部省告示第205号)。本科(修業年限3年)に機械科・造船科を設置 (定員各100名)。 1944年4月16日:工専第1回入学式。217名入学。 1944年11月24日:校歌制定。『亜細亜の光 日の本の』(伊賀駒吉郎 作詞、橋本國彦 作曲) 1945年6月5日:空襲で第5棟焼失。 1945年8月6日:空襲で第4棟などに被害。当時、暁第19766部隊が校舎を使用しており、第4棟消火作業中に第3棟が被弾、隊員14名死亡・30数名負傷。 1945年9月29日:高商第4期生(最終期生)卒業式。120名卒業。甲陽高商卒業生は 4期合計で 583名。 1946年2月:財団法人辰馬学院、工専廃止の方針。工専生徒有志、理事長宅で翻意を直訴するも方針変わらず。 1946年5月:1946年度から生徒募集を停止。 1946年9月:本科に工業経営科を増設。 1947年3月15日:工専第1回卒業。機械科77名・造船科82名。 1947年4月1日:工専校舎に新制甲陽学院中学部(現・甲陽学院中学校) を新設。 1948年3月5日:工専第2回卒業。機械科54名・造船科48名・工業経営科71名。 1948年3月31日:甲陽工業専門学校、廃止。
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