甲陽鎮撫隊の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:03 UTC 版)
新選組局長の近藤勇は、抗戦派と恭順派が対立する江戸城において勝海舟と会い、幕府直轄領である甲府を新政府軍に先んじて押さえるよう出陣を命じられた(一説には、江戸開城を控えた勝海舟が、暴発の恐れのある近藤らを江戸から遠ざけたとも言われる)。新選組と浅草弾左衛門(矢野内記)配下の被差別民からなる混成部隊が編成され甲陽鎮撫隊 と名を改め、近藤勇は大久保剛(後に大和)、副長の土方歳三は内藤隼人と変名。ミニエー銃をはじめとする洋式装備が多数配備され、3月1日に江戸を出陣。甲州街道を行軍した。この時点では、甲府城は、幕府から派遣された役人の管理下にあり、板垣らの率いる迅衝隊が甲府城まで行軍する路程と、江戸から近藤勇らが甲府城まで行軍する路程を比較しても、圧倒的に有利な状況にあった。大砲6門のうち4門を置き去りにして2門しか運ばなかったのも、城内に入れば武器弾薬の補充も効き、練兵に不慣れな混成部隊でも圧勝できると楽観視していたためである。
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