田中宗吉
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田中 宗吉(たなか そうきち[注釈 1]、1894年11月21日[1][注釈 2] - 1978年10月22日)は、日本の柔道家(講道館8段)。
注釈
- ^ 名の読みについて、文献によって“むねきち”としているものもあるが、本稿では工藤雷介著『柔道名鑑』に基づき“そうきち”と記述している。
- ^ 『柔道名鑑』では1896年11月21日生とも記されている[2]。
- ^ 国際柔道連盟元会長・松前重義の兄。のち講道館9段。
- ^ 田中自身は一連の動作を、「相手を真前に崩して両足先に重心を掛けさせ、相手の股の中心部に自分の掛け足の左太腿の裏側を密着させる。支えた自身の右足は相手を倒したい方向に真っ直ぐ向けるため、相手の真下に180度回転させて踏み込む」「引き手は右へ水平に引くために、右腋下を直角に開き、奥襟を取った左手で、相手の上半身を自分の左胸部に密着するよう強く引き付ける」「この時、軸となる右足の膝に僅かに弾力を持たせながら足を伸ばし、爪先で踏み切り相手を左足で跳ね上げる」「掛け足の指は5本とも開く気持ちで、掛け足は1本の棒のようにして跳ね上げる」と解説している[1]。
- ^ 晩学で大成した柔道家としては、高校を卒業後、秋田県警に警察官として奉職してから柔道を習い始め、首尾よく1956年の第1回世界選手権大会を制した夏井昇吉9段や、同じく高校を卒業後に大阪府警に入って柔道を習得し、後に全日本選手権大会で3位となった河野雅英などが挙げられる。
出典
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