生体轢断か死後轢断か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:04 UTC 版)
下山総裁は、東武伊勢崎線ガード下の国鉄常磐線下り方面(水戸方面)線路上で、付近を0時20分ごろに通過した下り貨物列車第869列車(田端発平行、D51-651号牽引)により轢断されたことが判明。遺体の司法解剖の指揮を執った東京大学法医学教室主任の古畑種基教授は、回収された下山総裁の遺体に認められた傷に「生活反応」が認められないことから、死後轢断と判定した(解剖の執刀は同教室の桑島直樹講師)。 また、遺体は損傷が激しく確実な死因の特定には至らなかったものの、遺体および轢断現場では血液がほとんど確認されず、「失血死」の可能性が指摘された。加えて遺体の局部などの特定部位にのみ内出血などの「生活反応」を有す傷が認められ、該当部分に生前かなりの力が加えられたことが予想され、局部蹴り上げなどの暴行が加えられた可能性も指摘された。 一方、現場検証で遺体を検分した東京都監察医務院の八十島信之助監察医は、それまでの轢死体の検視経験から、すでに現場検証の段階で自殺と判断していた。遺体の局部などの特定部位にみられた内出血などの「生活反応」を有す傷については、轢死体では頻繁に生じる事象であり、血液反応がわずかなことも、遺体発見時の現場周辺で降った雨に流され確認できなかったもので、他殺の根拠にはなり得ないと主張した。 さらに慶應義塾大学の中舘久平教授が生体轢断を主張。自殺の根拠となる「生体轢断」と見るか、他殺の有力な根拠となる「死後轢断」とするかで見解は対立した。1949年(昭和24年)8月30日には古畑教授、中舘教授、小宮喬介(元名古屋医科大学教授)の3人の法医学者(ただし中館、小宮両教授は下山総裁の遺体を実見していない)が衆議院法務委員会に参考人招致され、国会、法医学界を巻き込んだ大論争となった。法務委員会委員の質問に対し古畑は、「解剖執刀者桑島博士は、いまだかつて公式には他殺、自殺のいずれともいっていない。死後轢断という解剖所見を述べているだけである。研究は継続中であり、研究結果も知らない者が勝手に推論することは、学者的態度ではない」と述べた。
※この「生体轢断か死後轢断か」の解説は、「下山事件」の解説の一部です。
「生体轢断か死後轢断か」を含む「下山事件」の記事については、「下山事件」の概要を参照ください。
- 生体轢断か死後轢断かのページへのリンク