現在も揺れる評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 09:07 UTC 版)
評論家の鶴見俊輔は、報道でおろかもの之碑の存在を知って現地を訪れた際、「(太平洋戦争の)批判もせずによくこんなものを建てますねえ、上州人らしいです…」と述べたという。一方で、「それぞれの現在の心境はどうであれ、一度思いたって、みずからをおろかものとし、その思いを石碑に記したこととを私は立派な行為と思う。それは、ぼんやりとではあるが、国家にはまちがいはないとする信仰への、一つの集団によるうたがいの表明であり、そのことが、この土地で、すくなくとも一度あったという事実への敬意である」とも評している。また、思想の科学研究会の佐々木元は、敗戦と追放解除という二度の価値観の転換を体験し翻弄された建碑者たちにとって「『おろかもの』という自嘲の碑銘にこもるルサンチマンはそう単純ではない」とし、「『おろかものの碑〔ママ〕』の意味の争奪戦はまだ終わっていない」と論じた。 建立当時のあづま会会長蟻川清の息子蟻川七郎次は、「建碑者には、さまざまな思いがあったと思いますよ。申し訳なさ、情けなさ、悔しさ・・。共通するものがあるとすれば、誰でもない自分自身が愚かであったということ。建碑の動機は、そうした反省の気持ちを表したと思うんです。それが周囲には、さまざまに解釈されて、意外な反響を呼んでしまった、といったところじゃあないでしょうか」として、「碑の評価はまだ定まっていない。その意味で、後世の私たちに問題提起していると思うんです」と述べた。上毛新聞社は2001年(平成13年)に季刊誌『上州風』でおろかもの之碑を取り上げ、「関係者の多くが亡くなってしまった今、建碑の真意を探ることは難しい。今を生きる我々にその解釈が委ねられたということだろう」と論じている。
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