現在も残る廃線跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 18:19 UTC 版)
武州鉄道の蓮田駅は駐輪場となっている。駐輪場から先、公民館の裏手までは駐車場となっているが、すぐに住宅地に埋もれてしまう。蓮田市立蓮田南小学校付近までは土地の形状から探ることができるが、その先は区画整理が行われた地区で、線路の痕跡はない。 さいたま市岩槻区に入った馬込駅跡付近から線路跡は道路となって現れ、人間総合科学大学蓮田キャンパスの東側で国道122号と交差する。直進して東北自動車道・国道122号蓮田岩槻バイパスと交差し、平林寺の河合幼稚園付近まで続く。その先線路跡は畑や住宅となっているが、畑と畑の境界線や土地の形状から容易に線路跡が判別できる。平林寺公民館が線路跡に建っている。住宅地に入った御幸町・日の出町でも、土地が道路の方向に合わない不自然な向きになっていることから線路跡が判別できる。東武野田線と交差し、浄安寺の前を通過する。埼玉県道2号さいたま春日部線との交差した先の家が岩槻本通駅跡である。 岩槻本通駅から岩槻駅跡までは住宅地に飲み込まれているが、土地の形状から容易に探ることができる。線路跡はさいたま市立岩槻中学校の敷地を通過している。岩槻駅跡はさいたま市立太田小学校付近である。 線路跡は東町二丁目交差点のすぐ西側で国道16号岩槻春日部バイパスと交差し、浮谷バス停付近で埼玉県道324号蒲生岩槻線に飲み込まれるが、さいたま市立城南小学校を過ぎた先で右手方向に分かれてゆく。目白大学岩槻キャンパスに入る道は武州鉄道の跡を利用したものである。目白大学から先は一直線に続く。土地の形状から線路跡が容易に判別でき、一部は道路や駐車場になっている。埼玉県中古自動車販売商工組合の事務局付近を通過し、綾瀬川にいたる地点まで線路跡がはっきりしているが、その先は区画整理地区に飲み込まれている。以前は伝右川と交差する地点に橋台が残されていたが、浦和美園駅周辺の開発により2013年の時点で撤去されている。埼玉スタジアム2002の西側から、線路跡は東北自動車道となって、神根まで至る。この付近では、東北自動車道は武州鉄道の用地を利用して建設された。 昭和50年代の終わり頃まで、浮谷地区には掘割の路線跡が残されており、笹久保地区には土盛の築堤跡とともに数箇所の橋台が残されていた。しかし、全線に渡り線路を残した廃線跡は皆無であった。浮谷地区の廃線跡は現在の目白大学に埋もれている。武州大門駅 - 神根駅間は、東北自動車道と国道122号の用地として大部分が転用された。 岩槻区南下新井の酒屋「たねや」の倉庫として、浮谷駅の倉庫が使われていた。現在は閉業している。
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