現代の経済の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 05:55 UTC 版)
「ダンディー (スコットランド)」の記事における「現代の経済の歴史」の解説
第二次世界大戦後のダンディーは、産業構造の特筆すべき変革の時期であった。ジュート工業は労働人口の5分の1をまだ雇用していたが、新しい産業が誘致・育成された。NCRは1945年末にダンディーをイギリスでの活動拠点とした。これは主に、ダンディーは戦争での被害がなかったこと、交通網が便利であること、日照時間が長く生産性が高いことによる。生産は1946年に開始され、公式には工場が1947年6月11日に開設された。この工場はキャッシュレジスターを生産していたことから、ダンディー住民には通称「ザ・キャッシュ」(The Cash) と呼ばれていた。工場が開設されて10年と2週間で、25万台目のキャッシュレジスターが生産された。1960年代までには、ダンディー周辺のいくつかの工場でキャッシュレジスターだけではなく現金自動預け払い機の生産も行い、NCRはダンディーで最大の雇用者となった。またNCRは、キャッシュレジスター用の磁気ストリップを開発し、初期のコンピューターの生産も行った。ダンディーを拠点として冷蔵庫や衣類乾燥機を製造・販売していた会社であるアストラル (Astral) は、モーフィー・リーチャーズと合併して、従業員を急速に増やし1,000人以上とした。ミシュランがタイヤの生産工場を開設したことは、1969年4月30日に貿易委員会がジュートの規制を廃止したことによりジュート工業が衰退し、増大した失業者を吸収することに貢献した。 造船所の閉鎖、カーペット製造業の廃止、ジュート貿易の終了により、10,000人以上が失業して、1980年代のダンディーの産業は大きく変化した。失業の増加と経済の低迷に対処するために、1984年1月にダンディーは企業地域 (Urban Enterprise Zone) と宣言された。1983年には、シンクレア・リサーチのホビーパソコン、ZX Spectrumがタイメックスによってダンディーの工場で生産された。この年、工場の建物1つを取り壊してスーパーマーケットを造る計画と首切りに抗議する労働者たちの座り込み抗議があったが、タイメックスは会社の生産記録を塗り替えた。タイメックスは最終的に、6ヶ月に及ぶ激しい労働争議の後1993年にダンディーの工場を閉鎖した。2007年1月、NCRはゴーディー工場 (Gourdie facility) で650人の解雇を行って、生産量を縮小することを発表した。しかし、2007年から2009年にかけての全世界での景気後退により、NCRは2009年6月にダンディーにおける生産を完全に終了し、これによりさらに120人が解雇された。しかしながら、ダンディーでの研究開発・販売・サポートの機能は継続していくとしている。
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