独立戦争後のインドネシアとオランダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:31 UTC 版)
「インドネシア独立戦争」の記事における「独立戦争後のインドネシアとオランダ」の解説
解放を獲得したインドネシアだが、日本(枢軸国)に勝利したオランダ(連合国)が影響力を残すため、共和国が支配するジャワ島のほかに、オランダの作ったいくつもの傀儡政権が連立する連邦共和国となっていた。だが、諸邦が分立する連邦共和国制度を不満とし、土侯国を中心とする諸邦の権力をジャカルタの中央政権に委譲させ、1950年8月15日、単一のインドネシア共和国の樹立が宣言された。オランダの目論みは完全に失敗し、300年に及ぶ影響力を遂に失った。 建国後のインドネシアは原油とゴムの輸出によって経済を再建するとともに、政治的には議会制民主主義を忠実に実行したが、政治的混乱を収拾するため、スカルノは1956年に「指導された民主主義」を提唱し、独裁制へ移行して行くとともに、ソビエト連邦へ接近した。1960年には、なおオランダ支配下にあった西イリアンへ進攻し、オランダと国交を断絶し、アメリカの介入による国連暫定統治を経て、1962年にはインドネシアへの移管が決まった。 オランダは第二次世界大戦後に、アメリカによるマーシャル・プラン(西欧経済援助)が停止されたことも、打撃が大きかった。1962年には西イリアンも失い、植民地国家から西欧国家への移行を目指した。ベルギーやルクセンブルクとのベネルクス関税同盟は、その後の欧州共同体、現在の欧州連合の先駆けとなった。
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