特殊慰安隊
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韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(후방전사)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた。 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、組織的体系的に慰安婦制度をつくった。金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった。日本人慰安婦も在日米軍基地周辺や朝鮮半島へ連れて行かれたこともあった。 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍慰安婦と同様のものであった(韓国政府や軍が正式に募集・設置運営している点は日本と異なる)。計画は陸軍本部恤兵監室が行い、1950年7月には韓国政府は軍作戦指揮権を米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる。韓国政府・軍は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したという。 尉官将校だった金喜午の証言によると、陸軍内部の文書では慰安婦は「第5種補給品」(軍補給品は4種までだった)と称されていた。 慰安婦は、韓国軍と共に米兵も利用した。 慰安婦をドラム缶にひとりづつ押し込めて、トラックで前線まで移送したという証言もある。ただし証言者は、慰安婦を前線まで連れて行くことは、本来は許可されていなかったとも語っている。
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