物部神社 (名古屋市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 物部神社 (名古屋市)の意味・解説 

物部神社 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/25 17:15 UTC 版)

物部神社
所在地 愛知県名古屋市東区筒井三丁目31番21号
位置 北緯35度10分24.3秒 東経136度55分53.5秒 / 北緯35.173417度 東経136.931528度 / 35.173417; 136.931528 (物部神社 (名古屋市))座標: 北緯35度10分24.3秒 東経136度55分53.5秒 / 北緯35.173417度 東経136.931528度 / 35.173417; 136.931528 (物部神社 (名古屋市))
主祭神 宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)
社格 村社式内社
創建 (伝)垂仁天皇の治世
別名 石神堂、石神神社、山神[1][2]
例祭 10月7日
地図
物部神社
テンプレートを表示

物部神社(もののべじんじゃ)は、愛知県名古屋市東区筒井にある神社尾張国愛智郡式内社「物部神社」に比定されているが、後述するように異説もある。

歴史

垂仁天皇の時代に創建されたという伝をもつ古社で、かつては広い境内を持っていたという。大石を神体とし、江戸期まで石神堂あるいは山之神などと呼ばれていた。17世紀中頃に成立した『寛文村々覚書』には「古井村...山之神」と書かれており、17世紀の時点では山神として祀られていたらしい。元禄年間には、徳川綱誠が荒廃していた社殿を修復したと伝わる[1][2]

神体となっている「要石」と呼ばれる大石は社殿下にあるといい、神武天皇がこの地を平定した際にの鎮めとしたという伝説がある。

江戸期に天野信景が当社を『延喜式神名帳』に記載のある尾張国愛知郡「物部神社」に比定し、以降は定説となった。しかし天野が当社を物部神社に比定した根拠は、物部氏の祖神である宇麻志麻遲命を祭神とする点のみで、棟札などは残っていない。江戸後期の郷土史家である津田正生は、当社を「物部神社」に比定することを批判し、本来の「物部神社」は御器所八幡宮であるとしている。考古学的にみても当地周辺に古代の遺跡は少ない一方、御器所周辺には古墳廃寺が散在するため、『和名類聚抄』にある愛知郡物部郷を御器所周辺に比定する説が有力視されている[3]

1868年明治元年)に当社が正式に式内社の「物部神社」に比定され、村社に列せられたが、現在は無格社となっている。1953年昭和28年)には本殿拝殿が造営された[2]

祭神

ギャラリー

所在地・交通

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 名古屋市教育委員会が作成した、境内にある立て板の説明による。
  2. ^ a b c 境内にある由緒記の説明による。
  3. ^ 名古屋郷土文化会 1986, p. 5.

参考文献

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、物部神社 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「物部神社 (名古屋市)」の関連用語

物部神社 (名古屋市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



物部神社 (名古屋市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの物部神社 (名古屋市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS