父親の夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:58 UTC 版)
「トッド・マリノビッチ」の記事における「父親の夢」の解説
元々出生名はマービン・スコット(Marvin Scott)であったが後に母親によってトッド・マービン(Todd Marvin)へと名前を変えられる。カリフォルニア州のサンレアンドロに生まれる。父親のマーブ・マリノビッチ(en:Marv Marinovich)は名門南カリフォルニア大学(USC)トロージャンズでキャプテンを務め、1963年のローズボウルに出場した経験を持ち、NFLでもプレーした人物であり、母親も高校で水泳選手であった。また、母親の兄弟のクレイグ・ファーティグはUSCのスタークォーターバックであったなどスポーツ一家の家柄である。 父親のマーブは大学卒業後1962年にロサンゼルス・ラムズ)にドラフト12巡目で指名され、当時まだ存在したAFLのオークランド・レイダースにも指名された。しかしパッとした活躍ができず3年でプロキャリアを終えてしまい、その後はトレーナーへと活動の場を移す。当時は冷戦下であり、ソ連をはじめとする東側諸国はスポーツ大会で好成績を収めていた。そこに注目したマーブは東側流の筋力トレーニングを研究するようになる。そこに目をつけたレイダースのGMアル・デイビスによって筋力トレーニングのコーチとして採用される。その後もMLBのセントルイス・カージナルスでコーチとして経験を積んだ。十分に経験を積んだマーブは自身の技術を息子に注ぎ込むべくニューポートビーチへ引っ越し、トレーニング施設を開き、自身の果たせなかったNFLで活躍するという夢を実現させるべく徹底した英才教育をトッドに施し始める。まずは妊娠中の妻に塩、アルコール、タバコ等の摂取を禁じ、生まれてすぐのトッドには新鮮な果物や野菜、生乳のみを与えて育てた。
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