父ラウンドテーブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 21:38 UTC 版)
「ボールドリック」の記事における「父ラウンドテーブル」の解説
ボールドリックは、父ラウンドテーブルの初年度産駒である。ラウンドテーブル自身はアメリカ生まれでアメリカで走った競走馬だが、その両親はともにイギリスの競走馬であり、血統はイギリスで成功してきたものである。 ラウンドテーブルは1950年代の世界を代表する名馬の1頭で、ボールドルーラー、ギャラントマンと争って通算43勝をあげ、175万ドルを稼いで獲得賞金額の世界記録を作った。 ラウンドテーブルは1958年にアメリカで年度代表馬となったほか、1957年から1959年までの3年間アメリカの芝部門のチャンピオンに君臨した。1959年のシーズンを最後に競走馬として引退し、1960年から種牡馬になった。ボールドリックはその最初の世代の産駒である。 現役時代にラウンドテーブルのライバルだったボールドルーラーは、ラウンドテーブルより1年早く種牡馬入りし、産駒が競走年齢に達した2年目の1963年には早くも全米種牡馬チャンピオンとなって歴史的な大成功を収めた。それと比べてしまうとラウンドテーブルの種牡馬としての出だしの成績は見劣りするが、それでも一流の成績ではあった。ラウンドテーブルは種牡馬デビューから10年経って、1972年にようやく全米の種牡馬チャンピオンになり、ボールドルーラーと並ぶ名声を得るようになった。が、その時点ではボールドリックはとっくに現役を引退して種牡馬になっていたので、ラウンドテーブルの種牡馬チャンピオン達成にボールドリックが直接寄与したわけではない。
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