父リンボーについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 21:20 UTC 版)
リンボーは1949年アメリカ産。もとは種牡馬として父ウォーアドミラルやマームードを繋養していたC・V・ホイットニー所有だったが、蹄に不安を生じたことからセリに出されていたのを渡米中の白井新平が2000ドルで買い求めた。種牡馬として引退後は買い戻す契約で後楽園スタヂアム社長田邊宗英が所有し矢野幸夫厩舎からデビューすると、6歳の1月にレース中故障を発症するまで23戦9勝、獲得賞金156万円の戦績を残している。種牡馬としては青森の三浦牧場や門別の豊洋牧場で繋養され、貴重なマンノウォー系種牡馬として道悪馬場とダートに定評があった。ヒカルタカイ以外の代表産駒にコウライオー(日本経済新春杯・京都盃・神戸盃)やコクユウ(大井杯、大井記念、金盃、平和賞)、タケデンボー(ダイオライト記念、ゴールドカップ、平和賞)、マンノージヨウ(キヨフジ記念2着、イチコンコルドオウの母、ハシルショウグンの2代母)がいるほか、母の父としてアングロアラブのシナノリンボー、天皇賞馬アイフル、キシュウローレル(阪神3歳ステークス)、タケデンファイター(北日本マイルチャンピオンシップ南部杯など)などを出している。 1967年3月に心臓麻痺で急死したが、奇しくもこの年に最高傑作のヒカルタカイが南関東三冠を達成した。牝系は英国二冠馬ショットオーヴァーのうち、フリゼットを経ないラインにあたる。
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