爪崎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:52 UTC 版)
長尾地域の西部にあたる。近世の始めまでは西高梁川の河口西部沿岸地帯であった。高梁川の堆積作用により干潟が広がるようになり、寛永19年に当地を領有していた松山藩主水谷勝隆は干拓を計画。承応年間から干拓に着手し明暦元年に汐止め、万治2年に第一期工事を終え、新田を開発した。ついで乙島寄りの沖合を干拓し、寛文8年に完成。これらの新田地帯は玉島村として併合された。その後に枝村として北部を爪崎村、東部を上成村として分割したが、その年代は不詳である。 元禄6年、水谷氏が除封となり江戸幕府領となったが、元禄15年に爪崎・上成とともに丹波国亀山藩の飛地領となる。三宅千秋『備中の新田開発』では、1877年(明治9年)の爪崎村は114町1反7畝20歩であった。 1877年(明治9年)10月30日、爪崎・上成・玉島の3村が合併し玉島村となったが、1881年(明治14年)に元の3村に分村。1889年(明治22年)6月1日に長尾村と合併し長尾村となり、同村の大字爪崎となった。1891年(明治24年)に当地に山陽鉄道玉島駅(現JR西日本新倉敷駅)が開業し、それまでは農村地帯であったが駅周辺は市街化が進行した。現在は大型幹線道路の整備と新倉敷駅前の区画整理、近隣への大学の進出により、それ以前より増して市街化が進行している。地域南部を東西に1985年(昭和60年)に造成された国道2号バイパスが通過している。
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