煙管から紙巻たばこへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:31 UTC 版)
明治期の西洋化により、専ら刻み煙草と煙管(キセル)による喫煙であった日本に紙巻たばこが入ってきた。その後、紙巻たばこは日本国内で製造・販売が始まり、明治2年(1869年)に元彦根藩士の土田安五郎が紙巻たばこの製造を日本で初めて試みたとされる。明治6年(1873年)には竹内毅と石川治平がウィーン万国博覧会で見た紙巻たばこ製造機を買い入れて製造を始め、明治10年(1877年)には第1回内国勧業博覧会に出品して受賞、明治10年代になると、銀座の岩谷松平や千葉松兵衛はじめ、都市を中心に紙巻たばこの製造販売が本格化していく。明治24年(1891年)には米国と組んだ京都の村井吉兵衛が東京に進出、ポスターや街頭宣伝、おまけ付き煙草販売など各社の派手な宣伝は「明治たばこ宣伝合戦」と呼ばれた。明治30年(1897年)頃にはたばこ商が5000人、最大手は東京の岩谷商会と京都の村井兄弟商会であった。1899年に村井は、日本に一大製造工場を建てて日本の低廉な賃金を利用して一挙に日本のたばこ業界を圧倒しようとするアメリカン・タバコ・カンパニーと資本合同を行なって株式会社化し、市場を席巻しはじめた。この外資導入を警戒した日本政府は煙草の専売化を急ぎ、1904年に施行、国内の煙草会社は補償金を得て廃業した。なお、紙巻たばこの消費量が煙管用の刻みたばこの消費量を上回ったのは大正12年(1923年)であった。
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