煙管と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 08:41 UTC 版)
装飾された煙草盆 根付と煙草入と煙管筒 多くの時代劇等で煙管は重要な小道具として登場するが、16世紀以前には伝来していない。また武家や商家などでは、贅沢の禁止と防火の意味から使用人には喫煙を禁止することもあった。 武士の場合はステータスシンボルと同時に自分の志の表現として、特別に自分の好みを施した煙管を注文したりした。明治維新後の廃刀令で、護身用にと鉄扇ないし重量のある鉄の煙管を持ち歩く士族達もいた。 江戸時代においては、多くの場合に大店の主人や番頭等が自分にあった道具を誂えたりと、嗜好の世界というより一種のファッションやステータスシンボルであった。また、煙草入や煙管筒に流行もあったといわれる。この中では根付のような関係する工芸文化も存在し、この根付は明治時代の交易に関連して海を越え、英国にまで愛好者を増やした。ロンドンのビクトリアアンドアルバート美術館には、この根付コレクションの展示室も存在する。 江戸時代の吉原等の大見世(上等な女郎屋)の太夫(上等の遊女)などの間では、位が上ると帯の幅が広くなり、それに合せてその帯に挿す煙管の赤塗りの羅宇も長くする仕来りがあり、煙管の長さで女郎の格をはかることができた。(長羅宇:ながらう、ながらお) 遊女は気に入った客に煙管を差し出し、客が受け取るとその遊女を気に入ったということになる。歌舞伎『助六由縁江戸桜』の台詞にある「煙管の雨」とは、助六の男っぷりを暗に示す。 茨城県の加波山神社では毎年9月5日に「きせる祭」が開かれる。
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