無人島の買収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 00:35 UTC 版)
1974年(昭和49年)、平和相互銀行(平和相銀)により馬毛島開発株式会社が設立され、1975年(昭和50年)に島ごと買収した。当初はレジャー施設の建設を計画していたが、挫折した。その後も国の石油備蓄基地の候補地になったことから、島の土地買収が進んだが、最終的には鹿児島県の志布志湾に決定、馬毛島は放置されることとなった。 1983年(昭和58年)、右翼活動家の豊田一夫が、馬毛島の土地を自衛隊の超水平線レーダー用地として防衛庁に売却するという話を平和相互銀行に持ちかけ、不正経理によって用意させた巨額の資金を政界にばら撒き、1986年(昭和61年)にこの件が馬毛島事件として発覚、経営が悪化していた平和相銀は住友銀行に救済合併された。 同年には、1985年(昭和60年)に起こった山火事の影響で、集団化したトノサマバッタが大発生(蝗害)したが、翌年には収束した。 1995年(平成7年)、立石建設が馬毛島開発を買収して子会社化、のちに社名をタストン・エアポート株式会社に変更。馬毛島開発は島の土地の買収を進め、西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地とした。馬毛島開発では、日本版スペースシャトル (HOPE) の着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設などを誘致するとの構想を持っていたが、実際の開発は進まず、わずかに採石事業などが行われるに留まった。 2005年(平成17年)の国勢調査では、同社の従業員15人が住民として登録されており、25年ぶりに再び有人島扱いとなっている。離島振興法の有人指定離島、および有人国境離島法の特定有人国境離島地域にも指定されている。
※この「無人島の買収」の解説は、「馬毛島」の解説の一部です。
「無人島の買収」を含む「馬毛島」の記事については、「馬毛島」の概要を参照ください。
- 無人島の買収のページへのリンク