災害と対策の歴史とは? わかりやすく解説

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災害と対策の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 14:38 UTC 版)

層雲峡」の記事における「災害と対策の歴史」の解説

国道39号層雲峡温泉から石北峠方面に向かうと長さ3,388 mの銀河トンネルがある。もともと国道39号層雲峡渓谷沿った断崖絶壁直下通過しており、石狩川はさんでそびえ立つ柱状節理巨大な岩盤天城岩」や「流星の滝」「銀河の滝」、さらに巨大な岩壁目と鼻の先に迫る「神削壁」などのダイナミックな光景を見ながら通過することができていた。しかしその反面切り立った断崖真下通過することから、落石事故の危険性も高い区間となっていた。このため、安全を確保するため、特に落石危険性が高いとされた「神削壁」区間トンネル迂回することとし1979年昭和54年)に小函トンネル延長1,134 m)が建設された。しかし、その後落石頻発し1987年昭和62年6月9日早朝天城岩の一部11,000 m3に及ぶ大規模な崩落起こした石狩川を完全に埋め尽くし対岸国道39号走っていたトラック等の車両5台とサイクリング集団直撃し、約100 m渡って国道をも埋め尽くした人的被害岩盤直撃受けた3名(トラック2台の運転手サイクリング先頭1人)が死亡重軽傷者が6名という大惨事であった。この事故は「層雲峡小函天城岩崩災害」とよばれている。なお、崩落原因は、柱状節理岩盤節理面の風化によって崩壊したものと考えられている。この災害以後復旧までの間、国道39号当該区間通行止めとなり、利用者遠軽周り大きな迂回強いられた。 この災害を受け、危険箇所トンネル全面的に迂回することとなり、銀河流星の滝旭川寄り地点から新しトンネル掘削し小函トンネル内部接続する形で合計3,388 mの長大トンネル建設された。新トンネル銀河の滝の名にちなみ銀河トンネル命名され1995年平成7年10月供用開始された。旧道旭川側から流星・銀河の滝までの区間観光利用のため残されその先サイクリングロード兼ねた「小函遊歩道」として活用されることとなったが、その後落石頻発したことから、後に流星・銀河の滝から先は完全に閉鎖され自転車歩行者含め一切通行禁止され今に至る。

※この「災害と対策の歴史」の解説は、「層雲峡」の解説の一部です。
「災害と対策の歴史」を含む「層雲峡」の記事については、「層雲峡」の概要を参照ください。

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