滞仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 18:12 UTC 版)
1953年(昭和28年)東京芸術大学彫刻学科を卒業。同時にフランス政府給費生としてパリに留学以後83歳に至るまでの生涯にわたりフランスで生きることになる。1953年(昭和28年)- 1958年(昭和33年)、パリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に學ぶ。 1954年 (昭和29年)-1958年 (昭和33年)彫刻家アペル・レ・フェノザの助手を務める。学校に行きながらアトリエに通っていた水井は、後日こう語っている。「彼は私に毎日一点、粘土で小品を作って待つ事を義務づけた。数ヶ月後に私は自分の創作力の空白に絶望を覚えた。しかし、何時もギリギリにその一点が生まれた。 この後、私の人生がシンポジユムや1%アートの大作連続に変ったとき小品作の経験が創作の原動力になった事を感謝している。」と。 偶然の出会いもあった。1955年(昭和30年)パリオペラ界隈のギャラリーR.Volneyで在仏日本人美術展が開かれたとき、『蛙』という作品について、そこに訪れていたジャン・コクトーから高評価を受けたことがある。
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